平安桜

尚太女は何度も水の中で弱いチョップを繰り出したり、水に上がって巨大蛙を蹴ってみたり、浮き沈みしながら戦っているうちにくたびれてきた。 何をするのも馬鹿らしく、とうとう蛙の広い背中の上で寝転がるまでになった。

本来の九尾狐の姿になっていた狐黄は、その光景を斜め下から見てしまった。

ギョッとする。
尚太女さん寝転がってる!

慌てて四納を振り返ると、四納は自分の帽子を振り回して鼠を追いかけるのに必死で気づかない。
戦闘をさぼっている尚太女がパンケーキの様に食べられる前に、狐黄は自分が頑張ろうと思った。

九本の尻尾唸らせて、狐火を繰り出す。

狐黄は妖怪の中でも若いし、そんなたいした妖力を身につけている訳ではないが、ただの動物であるこいつらとは同じにならなかった。

狐火で脅されて、鷹も蛇も虎も、盲目的に飛びかかるのをやめて少し萎縮するような動きを見せた。

「む、びびるでないぞ」
儿乃太女に声援を貰い、少し勇気を振り絞って前に出ようとするが、その度に狐黄は牙を剥いて威嚇した。
まさにこの状況は珍しく、狐黄あっての四納達になった。

それなのに四納はまだ鼠を追い回し、ちゅーっと鳴かれては怯えて後ずさる。

尚太女は眠たそうに狐黄の勇姿を見守っていた。 本格的に睡魔は訪れ、身体をゆらゆらさせながら池の中へ真っ逆さまに落ちた。

上がる水しぶきに狐黄はひやひやした。
尚太女さんが死んじゃう! 何で寝るのよ!

とにかく自分の方はなんとかなりそうだったので、虎の額に一発お見舞いし、狐火を増やして完全に戦意を喪失させておいてから、狐黄は池の淵へ走り寄った。

狐黄の見たものは、蛙にむしゃむしゃ食べられる尚太女ではなく、どんどん減っていく水と、苦しそうに悶えている巨大蛙だった。

儿乃太女の舌打ちが聞こえる。

「いかんぞ!主ら、何とかして参れ!」

檄を飛ばしても虎や蛇や鷹はしょんぼりうなだれて、主人の側を離れなくなってしまった。

「尚太女さん!」
また人間に化け、狐黄は水の入っていない池を覗き込んだ。

尚太女は元気で、底に座って頭をかいていた。
見たところ無傷である。

「尚太女さん、どうなっちゃったの?」

「いや、それが…」

尚太女は事もなげに説明した。
「陰は蛙との激しい死闘の末に奴の攻撃を喰らい、真っ逆さまに池に落ちたのだ。あまりにも勢いが良くて陰の頭が底に穴を開け、蛙の後ろ脚が勝手に引っ掛かったのだ」


何て運のいい話なんだろう。

「どれだけ石頭なのよ〜」

「うむ、陰の頭は昔から硬くて、神の頭と呼ばれていたんだ」

「嘘ばっかり」

「負けじゃ、負けじゃあ」

割って入る儿乃太女の声。 儿乃太女は両手を上げて降参のポーズを取っていた。

「動物が使えんじゃ勝ち目無いわ、尚太女の勝ちでいいぞ」

何とも清々しい負けっぷりである。 せっかくの兄弟愛を尚太女はぼんやりとして気の利いた事一つ言わない。

儿乃太女の命令で動物達はばらばらと引き上げた。
完全勝利である、狐黄のお陰で。

「よし、行こうか」

尚太女が先に立って歩き出し、狐黄も従った。

「四納さーん、何してるのー?終わったのよー」

「このっ!おネズがっ…おネズの分際で…!」

四納は帽子を放り出し、自分の草履を片手に床を叩いていた。

「四納さんったら!」

「おネズがしつこいんですよ!」

この勝負は、引き分けとなった。








火影と千影を柱にくくりつけ、進む道を聞いて涙、葉奥、行脚の三人は余裕で歩いた。
段々忍者屋敷にも慣れて来て、罠の気配もわかるようになった。

「広いお屋敷ですね…」
行脚はどこまでも続く廊下や、高い天井を見ながらぽつりと呟いた。 涙も頷く。

「そうだな、尚太女はお坊ちゃんなんだな〜」
そういう言い方をすると尚太女に似合わない、行脚はくすくす笑った。

葉奥も笑いながら「似合わねえよ」とはっきり言った。

「出てこなきゃ良かったのに、悪い兄弟なんか全然いないじゃないかねえ?」

確かに、と今更ながら尚太女の変人さを認識する。

「そうですよね、お家にいれば少なくとも餓死したりする心配も、身の危険もありませんものね。尚太女さんって実は頑張り屋さんなんですね、僕尊敬します…」

行脚はこうして時々、思い出したように尚太女を崇拝する。
涙は笑って片手を振った。

「それ本人の前で言わない方がいいよ、調子に乗るからな」

「ちげえねえ」

しばらく三人の笑い声に華が咲いた。
へへ…と笑いの余韻を残した葉奥の顔が固まる。

「笑ってるけど俺ら今から何するんだっけ」

涙も同じような顔をしていた。

「えーっとねえ、あれだよ、尚太女の兄貴に腕試しされているから、刺客と戦わなきゃいけないんだよ」

そうだった。 何故か失念していた。 行脚が小首を傾げた。
「そういえば次の刺客って誰なんでしょうね?」

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