平安神楽
鶯に取り憑く妖怪の正体を突き止めた神楽。鶯の腹の子は取り除けるか!
時雨はまだ暗いうちに寝床を抜け出して、隣の寺へ出かけて行った。
陰欝な雨が降って肌寒い。
夜が明けても暗い一日になりそうだった。
火を持って一人でずんずん講堂内に入って行く。
ここに時雨が入り込むのは一年ぶり程である。
まださほどに仏教に興味の無い年頃だし、父親がいなければ途端に用も無い。
板敷きを裸足の足で踏むと氷の様に冷えていた。
ちらりと眉を寄せ、中を照らす。
神楽はもう起きて経をあげていた。
少しほっとした。
逃げていない。
神楽の方も時雨に気付き、経を読むのを止めた。
小さく息をつく。
「俺は余程信用が無いらしいな」
「そうじゃあないよ」
取り合えず火を台に置き、講堂の真ん中だけでも明るくする。
神楽と時雨のよく太った濃い影が壁に映って揺れた。
時雨はぺたりと床に腰を下ろす。
「俺は早くいつもの日常に戻りたいんだよ」
「いつもとは?」
「元気なお姉ちゃんがいて、俺がいる日常だよ」
「ふうん」
じわじわと減る蝋燭に視線を当てて、神楽は呟いた。
「父親のいた日常に戻りたいとは思わないんだな」
「どっちだって同じさ」
くさくさした調子で今度は足を伸ばす。
そのいちいちを神楽の目は追い掛けた。
「父さんは別居だったし、現役時代の金で俺らを食わしてただけだ。…作るのは女房だったしさ、後は仏教にどっぷり浸かって死んでいったんだ」
「親父とはそういうものだ。見える力になるのが母親、見えない力になるのが父親だ」
「………」
神楽はゆっくり立ち上がった。
夜が明けそうになっている、今日こそ除霊して俺は俺の旅をする。
そう考えていた。
時雨も続いて立ち上がる。
「時雨」
「何だ」
「鴬はお前と同じ考えを持っていないだろう、やはり父母への礼は忘れてはならない」
時雨は固い顔で視線をそらした。
「だから?」
「だから時々ここへ来てやれ」
そうしたらいつか、あの最後の観音の顔が何だったのか、時雨にはわかる時が来るのではないかと思った。
やはり日が高くなっても雨はぐずぐずと降り続けた。
少し湿気を含む渡殿を神楽は今一度歩く。
ファンシーな御簾の前で立ち止まる。
見間違えようも無い、鴬の部屋だ。
全て折込済みなのか、中から簾は明けられて、中へ通された。
静かに頭を潜らせるとまた後ろで閉める音がした。
鴬は起きて座っており、包帯だらけの手で扇を持ち、作法通り顔を隠していた。
「先日は申し訳ありませんでした…」
か細い謝罪文句が扇の向こうから聞こえてくる。
無言で頷いてから、上から下まで鴬を観察した。
かなり無礼に値するが、除霊の為として許して貰いたい。